都内在住

音楽を作って暮らしています。作られた時のお話を書いてます。

バンドを辞めるまでの話4

 『小田急相模原』。ふりがなをふってもらうまでは読めなかった。

 

僕の家は各駅停車しか止まらないこの駅を降りて、二十分は歩かないと見えてこない。渋谷、新宿に出るまで一時間以上はかかる辺鄙な場所だった。そして住んでいた理由は伊藤の親戚の最寄り駅というだけだった。だからか解散が決まった時に最初に浮かんだのは、(あぁ、じゃあもうこの町に住む理由も無いんだな)という実に生活感のある考えだった。

 

自分で自分を引きずるように、小田急相模原駅に着いた。

 

何とか小田急線の始発には乗れたのだが、車内で随分と寝てしまっていた。乗り過ごしてしまったせいで、折り返して着く頃には七時を過ぎていた。

 

僕は抜け切らないアルコールに足を取られつつも自宅を目指していた。スーツを着た人々は、僕と反対に駅を目指していて、何となく申し訳ない気持ちになる。

 

歩道は国道沿いのため、ビュンビュンと車が通っている。合わせて不必要なぐらい駐車場の充実したファミレスとコンビニが立ち並んでいる。この国道沿いの直線を十五分は歩かないといけない。朝なのにこれまた不必要なぐらい、強烈な日差しだった。

 

足を踏み出すたびに汗が噴き出してくるが、気を抜くと涙がまた噴き出しそうになる。朝になると少しは落ち着いたものの、あの悔しさと悲しさ、情けなさは一晩で振り払うには粘度が強く、心に張り付いて取れなかった。

 

歩きながら、解散した事実を改めて頭の中で整理していた。また心臓がぎゅっとなったが、段々とこの感情の正体が、分かってきた。

 

僕はもう夢を目指せなくなったことが悲しかった。

 

大きい舞台に立ちたい。沢山CDを売りたい。売れっ子と言われたい、金持ちになりたい、大勢に影響を与えたい。音楽を志している人にとって、これらはすべて間違いではないと思う。もちろん僕もその一人だ。だが、根源的な心の声は少し違うようだった。

 

僕にとって「目指していること」は最も大切な部分だったらしい。