都内在住

音楽を作って暮らしています。作られた時のお話を書いてます。

四人でやっている曲の事

高速道路は目を閉じたまぶたに、様々な種類の明るさを放り込んでくる。疲れているはずなのに心が不安定なせいか、もう二、三時間は眠れないでいる。
それでも気心が知れた人間だけで移動出来る。たまにそのありがたさを噛み締める事がある。


平成二十三年。
普遍的な、社会の幸不幸の数直とは違う次元の、ねじれの位置にあるような感覚を抱えながら、僕等四人は平成二十四年へと向かっていた。

都内でバンドを結成して、僕等はすぐに関西や中部地方でのライブ活動を行っていた。地方でも誘いがあればすぐに出演を決定していたし、どこへだって行った。

統計を用意していなくて申し訳ないが、これはおそらく、一般的な都内在住バンドの活動とは異なると思う。
大半のバンドは自分達の住んでいる場所を作り上げてから、地方へと挑戦、進出していく。

僕等が都内と同じ頻度で、地方でライブを行うやり方を採った理由は様々あったが、第一にとにかく、色々な場所で沢山ライブ活動がやりたかった。純粋に渇望していた。
全員が一度東京に敗れた四人だったせいか、呼吸するように、物を食べるように、とにかく音楽を鳴らす必要があった。

しかし、車を持っているはずもない生まれたてのバンドの移動する手段は高速バスしかなかった。

関西までの往復額が一人五千円程度だったと思う。高いか安いかは分からないが、少なくとも僕等の毎日にはしっかり痛恨のダメージを与えていた。
呼吸をするために、一人一人が金と、金以外の全てを切り詰めて活動していた。

最初の活動は五曲の無料ダウンロード、会場限定のCD販売、そしてまた五曲の無料ダウンロードだった。当然だが、移動手段が変わるはずもなかった。

それでも止まる事なく走り続けた。
止まらない音楽活動は求め続けていたものだった。だがそれでも人間、苦しいものは苦しかった。

地方への行きは夜行バスだが、帰りは朝のバスになる。
この行程が身体にも心にも打撃を与えていた。

イベントが終わり、日をまたぐ頃にライブハウスから解放される。僕等は深夜、知らない街に行くあてもなく、四人だけになる。

あの日は夜空が溶け落ちるような雨が凄まじい響きを立てていた。
ホテルやネットカフェに泊まる金もないので、僕等四人は地下通路でそれを凌いでいた。

地面を叩く雨の音がやたらと響く通路だった。
まるで金管楽器の中に閉じ込められたような気分になった。
そしてそこには僕等の他に人間はいなかった。
人間と呼ばれる二足歩行の生き物は、天候に合わせて、相応の場所へ移動するらしい。
十時間後には僕等を護送するバスが駅前にやってくる。それまで時間を潰さなくてはいけない。

何時間か経っても、外ではコンクリートがまだ雨の連打を浴びているようだった。
僕等は打ち付ける音に遠慮するように、小さな声で話しながら、膝を抱えて朝を待っていた。

なんとなく、曖昧だが、あの時は朝だけではなく、何かを待っていた気がする。未来か希望か分からない。陳腐な言葉で表せない、世界で僕等四人にしか分からない奇妙な感覚がある。

焦燥感と充足感、期待感とまぎれもない苦痛、寂しさに似た何かが混ざり合ってドロドロになっていた。
ドリンクバーの飲み物を、全部混ぜ合わせたみたいな色をした感情は、焼け焦げて暗い地下通路に充満していた。
僕等はバンドをしていた。組むだけ、演るだけでは味わえない、一人では絶対に生み出せない感情を核にしながら、猛烈に千切れそうになりながら、バンドをしていた。


気付くと朝が来ていた。
眠れる環境でもないが、意識は朦朧としていた。体育座りのまま、睡眠と覚醒の狭間を引きずり回された脳を無理やり叩き起こして、バス停へと向かう。
腰を上げると足がやたらと冷えていた。持ち上げた重たい楽器と、身体は何かのペナルティみたいだった。

「壊れても責任取りませんよ」

バスを運転するために生まれてきたらしい初老の運転手が、早口に告げる。
まるで人が犬か猫に語りかけるような口調だった。相手からの返事をまるで期待していない声は慣れっこだった。
僕等も彼らと言葉を交わすように作られていない生き物になっていた。
価値観の違う数直線の上に乗っかっている人同士は相互理解が難しい。同じ国の言語を使っているのに、何も通じない事がある。

「いや、壊れへんように作ってるんで」

そう言って、楽器やグッズ類を、バスのトランクに詰め込んだ。添乗員は必要以上に乱雑にドラムケースを、ギターケースを奥に放り込んだ。暗いトランクの中で金属音が鳴り響いた。僕のテレキャスターが泣いていた。

ぎゅうぎゅうと音が聞こえてきそうな狭い座席に身体をねじ込んで目を瞑る。自家用車と違い、高速バスは関西から新宿まで九時間はかかる。
エンジン音と滑走する音だけが、定期的に聞こえる車内で、長い旅路をじっと過ごす。会話を禁じられてもいないのに言葉が出ない。周囲の乗客に扇動された無言を守りながら、新宿へと護送された。

時間の感覚は故障しながら夕刻、新宿の西口に吐き出された。ため息をつきながら、ようやく四人でこぼれ話が出る。
タバコが吸いたいメンバー、眠りたいメンバー、奪われていたそれぞれの欲と自由と時間を一つずつ取り戻していく。
帰還するたびに肩か腰、どこかしらが痛んだ。だが疲れて体操をする気にもならない。

高速バスは新宿から出て、新宿へと着く。このせいで、気付くとライブ前に「新宿から来ました」と名乗っていた。これは名残で今も続いている。

僕はそこから一時間、小田急線に揺られて住んでいた町に向かう。時刻は帰宅ラッシュだ。

バスが地獄なら、地獄以下の満員電車に乗り込む。背中には楽器を持っている人間に対する殺意が、一気に降り注ぐ。
聞こえてくるサラリーマンの舌打ちに心で頭を下げながら、意識を空よりも高く飛ばす。
無意識に涙が込み上げてくる。

到着するも駅から家までは歩いて二十分かかる。
荷物と楽器で叩き割れそうな肩を、地面と平行にして歩く。

その頃には、たちまち暗い夜が重たい幕のように降りてくる。
二十四時間前にライブが始まる前にかかっていた幕を思い出していた。

幕が開いた後の僕等の演奏と、待ってくれていた数少ないファンの人達を思い出しながら、ペースを保って直線の国道沿いを歩いていく。

地球から落っこちそうになりながら、まっすぐ歩く。少しでも足を滑らせたら、地球から黒い空に真っ逆さまに落ちそうで怖い。しかし、ギリギリを歩きながら、確実に歩を進めていく。
いつの間にか家に着いていた。明日は朝からアルバイトがあるので、十時間後に新宿へと逆走する。

思い返しても、僕等はあの頃を呑気に過ごしていなかった。
心が暗くならないように努めながら、しっかりと確実に怯えていた。未来や、目の前のおぞましさに、ちゃんと恐怖しながら、四人で身を寄せ合ってきた。限界値の近隣に生息しながらも死なないでやってきた。

そして何かに期待しながら、その日その時を小さく、静かに燃やしていた。その火は幾度も水をかけられ、何層もの風を吹き付けられてきた。だが、それらを超えながら、守ってきた。今日もその火を守り続けている。